2012年01月23日18:36

原田市長にも挨拶をいただきました。
1月22日、浜岡原発を考える袋井の会結成総会が開かれました。会場の袋井総合センター4階いっぱいとなる200人余が参加がありました。記念講演をしてくれた長谷川健一さんは、東北訛りのズーズー弁で実直に原発事故後の経過を語ってくれました。事故による放射能汚染の事実を隠そうとし集団避難を遅らせた国や保安院、町当局。そのため町民が放射能汚染にさらされた事実。現在でも御用学者が入って安全と触れ回っている。こうした無責任な国や原発推進派に対する憤り。後継者ができ牛舎の増築をして借金だけが残ったこと。3ヶ月余り搾った牛の乳を廃棄してきたこと。親牛を屠殺し放射能検査をしたこと、子牛を売り渡し処分し、親牛も他県の酪農家に引渡したこと。酪農を休止しせざるを得なかった怒り。同業の友人の自殺を防げなかった無念さ。家族がばらばらとなった悲しさ。それらを映像や写真を映して語られ、何度も涙が出ました。
福島の飯館村も袋井市も原発からの距離は変わりもなく、浜岡原発が事故を起こせば袋井に住む我々が原発の被害者になっていたかもしれません。事故は何ら収束していません。チェルノブイリでは20年後になっても甲状腺がんが急速に増えている事実など低線量の汚染でも決して安心はできません。長谷川さんも子どもたちが将来差別されないか心配していました。国策で進めた原発政策を改めさせ国の責任を明確にさせること、事故を風化させないこと、継続して支援することの大切さを痛感しました。多くの人に聞いてほしい意味ある講演でした。
飯館村の酪農家長谷川健一氏の講演に涙。≫
カテゴリー │原発反対運動


1月22日、浜岡原発を考える袋井の会結成総会が開かれました。会場の袋井総合センター4階いっぱいとなる200人余が参加がありました。記念講演をしてくれた長谷川健一さんは、東北訛りのズーズー弁で実直に原発事故後の経過を語ってくれました。事故による放射能汚染の事実を隠そうとし集団避難を遅らせた国や保安院、町当局。そのため町民が放射能汚染にさらされた事実。現在でも御用学者が入って安全と触れ回っている。こうした無責任な国や原発推進派に対する憤り。後継者ができ牛舎の増築をして借金だけが残ったこと。3ヶ月余り搾った牛の乳を廃棄してきたこと。親牛を屠殺し放射能検査をしたこと、子牛を売り渡し処分し、親牛も他県の酪農家に引渡したこと。酪農を休止しせざるを得なかった怒り。同業の友人の自殺を防げなかった無念さ。家族がばらばらとなった悲しさ。それらを映像や写真を映して語られ、何度も涙が出ました。
福島の飯館村も袋井市も原発からの距離は変わりもなく、浜岡原発が事故を起こせば袋井に住む我々が原発の被害者になっていたかもしれません。事故は何ら収束していません。チェルノブイリでは20年後になっても甲状腺がんが急速に増えている事実など低線量の汚染でも決して安心はできません。長谷川さんも子どもたちが将来差別されないか心配していました。国策で進めた原発政策を改めさせ国の責任を明確にさせること、事故を風化させないこと、継続して支援することの大切さを痛感しました。多くの人に聞いてほしい意味ある講演でした。

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